ひとりのセラピストのひとりごと

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乙武さんはすごいと思う。障害者の社会進出について

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今朝、リビングへ降りてきたら、テレビがついていて

乙武さんが久しぶりにテレビに出演されていました。

この1年、色々あったようですが、

私は乙武さんはすごいと思います。

今回は障害者について考えてみます。

 

 

障害者とは?

障害者とは、身体や心、知能などに、「健康」な多くの人たちと違った外見や能力があって、一人で生きていくのが大変な人たちのことだと思います。ざっくり言ったら、例えば手足が生まれつき無いとか、目が生まれつき見えないとか、あるいは、病気やケガで無くなってしまった、というような人たちです。小さな障害はきっとたくさんあるのですが、あまりに大幅に「普通」と違う、というような人たちは、国が援助する法律があります。乙武さんの場合は、外見的に手足がありませんから、移動も不便でしょうし、物を持ったり、手作業をするということが全くできません。大変失礼ですが、周りの人が理解しやすい障害を持っている方ですね。

 

 

誰でも多少の障害はある

すこし脱線しますが、知能的な障害はとてもありふれたものだと思っています。クラスに何人かはいるような気がします。あるレベルまでいくと、「発達障害」と診断されて、場合によっては障害者認定されることがあります。でも、非常に人数が多いのは、認定されるほどでは無い、という障害。例えば、私の友達には空間把握ができない方がいます。空いている場所に物を置くとき、大きさの把握ができないので、混乱する、というようなものです。私自身も知能的な問題を感じます。「健康な多くの人」と違うことがあり、混乱することがあります。でも、私も、私の友達も、一人で生きるのには不便というほどではありません。極論的には、人見知りだって、地図が読めないことだって、話を聞かないことだって、知能障害かもしれません。では何が基準か?というと、やはり一人で生きられない、働いたり、食事をしたり、ということなんだと思います。

 

 

乙武さんがやっちまったこと

乙武さんはとっても有名な方ですから、テレビで見たことのある方は多いのではないでしょうか。手足が無く、車椅子の生活ですが、限られた身体の部分で、器用に色々なことを操作します。「五体不満足」という本が大変売れて、そこで有名になられたと記憶しています。日本の色々な場所で講義したり、教鞭をとったりしていて、明るく、前向きで誰もが尊敬していました。

 ご結婚されて、お子さんもいらっしゃったのですが、8ヶ月ほど前に、不倫疑惑が浮上して、しかも、過去に何人かいた、との報道が出てしまいました。一部真実であり、不倫に厳しい日本社会は、許せない方も多く、それ以降、乙武さんはテレビ出演を自粛していたそうです。騒動の中で、離婚されてしまい、今は一人で暮らしているとのことでした。

 

 ゴシップ記事は不倫が大好きですよね。ですから一度火が付くと延々と取り上げられますし、メディアでなくても不倫は良くないものと思われる方は非常に多いですから、この1年、芸能界の他のところでも、ベッキーさんとか、ファンキー加藤さんとか、不倫について報道されて、メディアとかインターネットからバッシングを受ける方がおられました。

 

ちなみに私個人は不倫については何とも思いません。パートナーが嫌がることは、やらない方が良いし、それでもやりたいなら絶対にバレないようにやってほしいです。他人の家庭事情に全く関心がないですし、私が不倫されたらというのもなんと無く割り切れた想像ができます。ですからここで言いたいことは、不倫の是非ではありません。

 

 

乙武さんは普通の人じゃないか

障害者の乙武さんが不倫して怒られた。

この文章には不要な言葉が混ざっています。「障害者」という部分です。乙武さんが不倫して怒られたのは、社会的なことですね。障害者というのは、乙武さんの外見的なことです。この2つに関連はありません。乙武さんは、普通の成人男性なのです。

 

障害者、と聞いて何を想像しますか?あなたの目の前に、手足が無い人がいたり、目が見えないひとがいたりしたら、どう思いますか?

 私は、そういう方に会ったことがない時は、ショックでした。かわいそう、何か手伝いたい、と思いました。それは正しい感想であったと思います。自分と大幅に違う、しかも、自分が出来るのに、出来ないことがある人間がいるというのは、それを見るということは、少なからず誰にでも衝撃があります。こういう表現は悪いですが、たとえば自分は手があるのだから、タイピングができる。でも、手が無い人は、タイピングできません。能力的に、劣っています。私にとって当然な、手を動かすということを、手が無いから出来ない。かわいそう、私があなたの手になりたい、こう思うのは普通の感情であると思います。

 

でもどういうわけか、障害者の他人に対して、これが過度になる傾向があると感じます。というのも、障害の有る無しに関わらず、他人について、どこまでやるか?というところが、障害者については混乱しているように感じます。

 健常者が障害者に会った時、その人は、障害者というより、他人です。他人である以上、その人のために出来ることと出来ないことがありますよね。出来ることはかなり少ないはずです。

キレイごとは無しですよ。考えてみてください。

駅で手足のない車椅子の障害者に会いました。切符を落としていて、切符には乗り換え路線の駅名が書かれていました。

あなたは、車椅子だからといって、他人を乗り換え路線の駅まで連れて行きますか?やりませんよね?とっても親切な人なら、連れて行ってあげるかもしれない。でも、大半の方は、切符を拾ってあげるだけだと思います。それはなぜか。他人だからです。

 

 

 

 

「障害者=かわいそう」という感情と、「障害者=他人」ということが混乱している方が非常に多いです。確かに手足が無かったら、気の毒かもしれません。そこだけみたら、かわいそうかもしれない。

でも、彼らのために何ができるかというのは、彼らを障害者として見るか、他人として見るかで全く違います。

街中で障害者に会った時、別にかわいそうと思う必要はないのです。他人が困っている時、他人にできるだけのことをやってあげれば、それで良いと思います。障害者を「かわいそう、助けたい」と思う人は、障害者支援をしています。一般の人が、街中で障害者に会ったら、他人という視点で見れば良いと思う。もし「かわいそう、助けたい」と本気で思うなら、どんな人も障害者支援をするべきです。

 

ある意味では、一般社会に、障害者は存在しないのかもしれないと思います。障害者は、法律の中や、施設や、支援者の前にしかいないのかもしれません。

 

 

乙武さんは普通の人で、他人で、それだけの存在です。もし街中で乙武さんに会って、切符を落としていたら、拾ってあげる。ただそれだけですよね。乙武さんがすごいと思うのは、そういう「普通」を、普通に体現していて、表現している。不倫は良くないでしょうが、人間だからそういうこともします。不倫をした罰があるなら、どんな人とも同じように味わうでしょうし、乙武さんだから許される、なんてことはありません。

 

乙武さんの年齢では、人生が充実してきて、色々楽しいんだろうなあ、と思います。失敗してしまって、今のような結果になっていますが、きっと彼なら、また新しい日本社会を切り開いてくれるはず。私は、ファンです(^ω^)がんばれ〜〜!乙武さん!