ひとりのセラピストのひとりごと

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学校教育への疑問。教師は規則重視、現場は対応力重視

私は高校生の時、出来損ないの劣等生でした。

中学校の時は、進学校をすすめられるくらいの学力でしたが、

高校に入学し、勉強をやらなくなってしまいました。

単位制の学校でしたので、必要単位を取り終わったら、

学校へ行くのを止めてしまいました。

学校教育には疑問があります。

今回はこのことについて。

 

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学校のシステム

学校には規則があります。学校で評価されるためには、いかにこの規則を守るか、にかかってきます。さらに、成績が良いことも欠かせない要件です。つまり、学校で優秀な生徒とは、規則を守り、成績が良い人ということになります。これはなぜでしょうか。

日本の教育機関はタテ社会です。国の機関(文部科学省や、厚生労働省)の下に、教育委員会があり、学校がありますね。この秩序は絶対的であり、基本的には、学校は上の機関の命令に従って教育をしています。ですから、そこで働く人たちも、規則を守る人たちが評価されるというわけです。これは歴史がある文化ですし、必要なことでもあります。もし規則が無かったら、みんな別々のことを教えるようになってしまいますから、受験などの時に不便が生じますね。とても大事なことです。

 働く人たち、つまり教師が規則に従順でありますから、そこで学ぶ子供達も、規則の従順さがとても求められます。言うことを聞く子は、良い子なわけです。さらに、放っておいても勉強してくれるのであれば、こんなに良い子はありません。ですから、規則を守り、成績が良い人が評価されるわけですね。

 

 

社会の現実

規則を守ることは大事なことですが、これには大きな問題点があります。規則を決めた人により、それを守る人たちの限界が決まってしまうのです。たとえば、円周率を3と決める規則が出来ました。でも、大学入試には3.14で出題されます。でも規則があるので、教えることができません。よって、大学に合格する人数が大幅に減ってしまう、ということが起きますね。初めから3.14で習っていたら合格する人が増えましたね。生徒側の能力が、場合によっては下がってしまうのです。

こういう現象は社会の色々なところで起きます。私は医療系の学生ですが、こういう症状がある人は、この病気、ということしか習わないと、現実的には、はっきりと症状の出る方の方がとても少ないですから、治療が出来なくなってしまいます。教わったことだけを覚えていても、役に立たない、ということの方が多いのです。ではどうしたら治療ができるようになるかというと、自分で考えるようにしておくしかないわけです。

 

 

私の直面する問題

私は接骨院への勤務を経て医療系の学校に入学しました。最初は学校へ期待していましたが、感じることはやはり高校の時と同じで、最近はどうも学校の授業に熱が入りません。規則を守り、良い点を取れて、先生に好かれる優等生だったとしても、それと、人の役に立てるか、というのは別の問題だと思うのです。優等生になることが最終目標ならば、きっと学校にがっかりすることもありませんし、がんばれると思うんです。でも、私は誰かの役に立ちたい、そんな仕事をしたいと思っています。現場で働くことを考えています。そんな中、授業には存在を疑うようなものもあって、能力を疑うような先生もいて、ついつい、考えてしまいます。

学校を疑うのは間違っていると思います。なぜなら、医療として、通学義務という法律があるので、私はここにいる。ですから、授業の内容なんて二の次ですし、結局のところ自分で勉強するしかないのです。現場の対応力は、学校で学ぶことではありません。ですが、学ぶ態度で接しているのに、とても学べるような授業でなかったりすると、これ以上の裏切りは無いと感じます。非常に残念です。

 

特に、臨床的な授業となると、学校の規則的な授業では、説明が足りない部分が多すぎて、つっこみどころが多いです。でも、私は教えを請う人間ですから、黙って見ています。きっと大人だからこういうことを思うのだと思います。

 

 

なぜそんな教師がいるのか?

ではなぜ、教育機関に内容の足りない授業をする先生がいるのでしょうか。それにはいくつか理由があるでしょうが、大きなものは、先生は、勉強しなくて良いという理由があると思います。先生は仕事で授業をしていますから、特に生徒がわかるように自分が考える必要がありません。わかりやすく説明するというのは、とても高度なことで、かなりの知識量と優れた理解が必要になってきます。それを得るのは、とても面倒なことです。勉強しなくてはいけません。会社勤務の社会人は、忙しいですよね。そんな時間を好んで作る方は、よほど仕事熱心か、まじめな方に限られます。教師とはいえ、普通の社会人なわけです。そのような手間を、勤務時間外にかける人の方が少ないでしょう。

ところが私たち生徒は、勉強することが必須です。理解しよう、学ぼうと必死になっています。ここで両者の間にひずみが生じるわけですね。私たちは必死。教師は仕事でしかないのです。

教師の立場になって考えてみれば、一度言っただけで理解してもらえるのが一番ありがたいですよね。だから、そのくらい賢い人は、評価されます。しかし、そんな人はとんでもなく少ないです。1クラスにいないこともあるでしょう。賢い人を集められる学校は、良い学校ですし、いなければ、悪い学校ですね。

 

 

 

 

 

生徒はどうしたらいいのか

もし義務教育の生徒であれば、ノルマのある塾講師なら信用できると思います。進学塾は、生徒の成績のノルマがあり、それを達成できないと、給料に関係します。ですから、教師側も必死になっていることが多いです。学校教師はこういったノルマがありませんから、適当でも給料はもらえるわけですね。そういう意味では、信用できません。

では専門学校や大学はどうしたらいいでしょうか。私が思う結論は、どうしようもありません。自分でどうにかするしかない。そして自分でどうにもできない人は、それなりの結果になってしまいます。世の中厳しいのです。

 

 

学校の嫌いなところ

別に学校に限った話ではありませんが、生徒の成績が悪いことを、生徒のせいにしている教師が多いと思います。人ができないことは、できない人が悪い。でも、教えるという立場である以上、教わった人ができないということの責任は、教えた人にあります。見ているとほとんどそのような考えを持っている方がいないようにみえる。生徒ができないのは生徒の頭が悪いからだと言わんばかりに感じます。私は赤点を取ったことがないのでかまいませんが、一人で勉強が出来ない方は救われません。彼らの味方は、学校にはいないと感じます。それは教育としてどうなのでしょうか。私は間違っていると思います。

 

 

学校には思い出のある方も多いと思います。私はいい思い出が少ないです。そして今も色々感じます。学校教育とは、かりそめなのかもしれない、と思います。