ひとりのセラピストのひとりごと

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弱い人ほど他人を否定する

 私が社会に出ている時、「話しにくいな」と感じる方がおります。私が女性だとか、若い、ということがあるのかもしれませんが、やたら話を、もしくは私を否定してくる方。一定の人数に割合で居る気がするので、そういう方は個人に限ったことではないようです。今回は、話を否定する方について、考えてみます。

 

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意見の多様性

 人の意見にはその人の主観が入っています。ですから、例外を除いて是非は決定できないものです。例外とは、世界的に証明されているもの。数式だとか、学術論文だとか。こういった「世界のルール」の話をする時は、前提がありますので、主観が混ざらない状態になっています。これは例外。

 

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 例えば日常生活であったことを話す時、「こういうモノを見て、こう思ったんだ」というような表現になりますが、「こう思ったんだ」の部分は、私だけの感想であり、それは他人とは共有し得ません。主観です。これは主観者の過去、環境によって分かれるところですね。具体的に例をあげてみます。

 

・例えば、戦争を見た時の感想

「人が死んでしまうから、戦争なんて間違っている」

「人は死んでしまうけど、経済貢献は絶大だ」

「世界情勢を考えると、戦争もやむを得ない」

「この国は強いのだから、もっと戦争をするべきだ」

 

 想像できましたでしょうか。戦争の是非ではなく、人の意見には多様性があり、それはその人だけのものですから、意見を全て言い切る前に、否定してしまうと、会話が崩壊してしまいます。そしてあまりに意見が合わなければ、「この人とは気が合わないな」と感じるのです。

 

 

時々会ってしまう、その人

 ですから会話には、相手の意見が自分と違うというのは基本中の基本で、それを理解する、あるいは、そこに共通点を見出したり、話し合うことで新しい見解をつくる、というのがコミュニケーションです。ところがこれができない方が時々おられます。

 

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 私の経験ではなんとなく年上の男性に多いように感じているのですが、私が見た出来事を話している時に、結論の前に「それは違う」とか「グチをこぼすな」とか言われる方がいます。結論の前に仰るので、話し方が悪くて理解してもらえなかったのかな?と思って補足しようとするのですが、どうも聞いてもらえない。ケンカになってしまうので、そういう時はそれ以上の発信を止めて、聞くことにしています。

 

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 どうやらそういう方はご自身の中で私の結論が決定しているようなのですが、話しているのは私であって、結論を出すべきなのは私なのです。話を聞く方は、その結論を聞いてから、それについて是非の意見があれば言うべきだと思います。この時点で論点がズレてしまい、会話が崩壊します。こういう現象が起きると、「この人とは二度と話したくない」とか、「少なくとも私が思っていることをこの人に言うのはやめよう」とか思ってしまうのです。あまり良い傾向ではありませんね。 

 

 

なぜ否定するのか

 ではなぜ、そういう方は私を否定するのでしょうか。極めて根拠のない、想像ですが、本能的に自分を守っているように感じます。

 会話での、相手の否定とは、攻撃です。日常会話であまりに否定が多いと、トラブルになってしまいます。人間は誰でも、否定されたくない。否定されたくないために、私を否定しているように思えます。

 

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 会話で相手を否定する人は、よく喋ります。それも一方的に話し続ける傾向があります。これは、話すのが好きというのもあるかもしれませんが、相手の意見を、自分の話で遮ることにより、相手の話が自分を否定することを防いでいるのです。つまり、そういう方は自分が否定される前提で話しているということになります。否定されることが怖いから、一方的に話し続ける。これは弱さ以外の何物でもありません。何か生きてきた環境で、否定されるようなエピソードがあったのかもしれません。弱いから、自分を守るために、話し続けるのです。

 

 

「弱さ」を「強さ」に変える心理学 「私はこうです」という心の軸を持つ

 

 

 

強い人は他人を否定しない

 私が今まで会ってきた中で、真に強い人、真に賢い人は、私を否定しません。私がもし、間違った結論を話したら、否定せずに、諭そうとします。諭そうとしない人もいます。それは、諭ることは、悟ることで、自分からその結論を出さない限り、人に言われても理解しえないことがあるからです。

 

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 人は誰でも、自ら気づくまでは、他人にいかに言われてもなかなか分かりません。それは、気づこうとしないということもありますし、経験が未熟で、青い、若い、ということがあるからです。特に年齢的に若い人に、この傾向は顕著であると思います。

 

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 他人を安易に否定する、というのは場合によっては必要かもしれませんが、日常の人間関係において、賢い選択ではありません。否定することにより、他人が傷つき、トラブルが生じやすくなります。自分の考えは自分のものでしかありません。いかに自分が正しい根拠があったとしても、それは他人を否定する理由にはならないのです。

 

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 私は人によく「強い女性だ」と言われます。でも決してそんなことは無いと思います。時には泣きますし、落ち込みます。自信を持てない部分が多すぎます。でも、他人から強いと言われるゆえんは、私は相手を否定しません。そうかもしれないとか、この人にはそうなんだとか、相手の意見を前提に会話をします。それは寛容に見えますし、賢く見えるでしょう。実際それはそうなのです。その人にとっての真実は、自分にとっての真実ではなくとも、会話というものは、その人に寄り添って話をしてあげるから成立するのです。

 

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 相手に合わせることは、優しさです。優しい人は、強いのです。安易に相手を否定し、自分の弱さを露出させるよりも、話を聞いてあげ、優しさと思いやりを持って人に接すれば、それはチカラになります。真の強さになるのです。

 

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 強さ・弱さは選択できません。努力で手に入れるものだと思っています。同じ時間を生きる人同士の中で、これほどまでに強い人、弱い人がいるのは、その人が何をしようとするかで決定するのではないかと思います。真の強さ、ぜひ考えてみて下さい。