ひとりのセラピストのひとりごと

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母子家庭は救われない。貧困よりもつらいもの

 私は母子家庭に生まれました。父は気付いた時にはいませんでした。母子家庭であるという理由でいじめられることはありませんでしたが、私個人の特殊な性質もあり、社会では生きづらいと感じることが多かったです。私は医学を志していますが、その理由は私の生まれた環境にあります。

 

 

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母子家庭の福祉

 私は気付いた時には市営の母子寮という施設に住んでいました。これは市町村が経営し、母子家庭のみを期間限定で住まわせてくれるものです。門限やルールは厳しく設定してありますが、収入の少ない家庭でも住むことができ、私の住んでいた場所は、時々旅行などにも連れていってくれました。住めるのは子供が18歳になるまででしたが、18歳を迎える前に出ていく家庭がほとんどでした。

 

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母子家庭を救おうとする風潮

 国や市町村では、母子家庭など貧しい家庭を救おうとする流れはあり、実際に母子寮や支援施設は機能しています。最近は雇用でも守ろうとする流れが一部にあるようで、良い傾向であると思っています。子供の進学についても、奨学金などがありますし、日本学生支援機構(旧育英会)では返済義務のない奨学金を作ろうとしているようです。

 

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世の中は母を救おうとする

 母子家庭で辛いのは誰でしょうか。母でしょうか。子でしょうか。負担が大きく、精神的にも辛いのは間違いなく母の方です。母が子の責任を持ち、一人で育てるわけですから、それを救おうとする流れは全く正しいものであります。しかし、母が正しくないことをする人間である時、真に苦しむのは子の方です。

 

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私の家庭

 私は一人っ子で、肉親は母しかおりません。正確に申しますと、母には兄がいまして、つまり私の叔父となるわけですが、母とは連絡をとっているものの、私にはほとんど面識が無く、おじさんだよ、と電話を渡されても、「はあ、そうですか」としか言えないほどの関係でした。母は高齢出産で私を生みまして、同時に子宮筋腫を患った関係で、私を帝王切開手術で取り出す際に、子宮も摘出したようでした。しかしこのあたりの話は遠い昔に伺ったもので、正しいかどうかは今はわかりません。

 

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私の母

 今思えば、母は手術と更年期障害、さらに私を育てなければいけないというプレッシャーで、ひどいストレス下に常にありました。仕事や家事を同時にこなさなければいけず、誰に頼ることもできない。子供はそれなりに反抗期があり、言うことを聞かない。それは辛かったと思います。時に母子寮のスタッフや、同じ施設に住む人たちが母と話していたりしていましたが、そんなことで救われるはずがありません。きっとさぞ辛かったことでしょう。

 

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 私は子供のころから変わった人間でした。人付き合いが苦手で、歩み寄っても離れていかれてしまうような子供で、自分でもどうしたらいいかわからずにいました。母子寮の子供達と遊ぶことが多く、クラスメイトとは一線をおいた関係だったような気がします。遊ぶ子供はいましたが、それでも私は孤独でした。母は働きに出ていますから、多くの時間を一人で絵を描いたり、図鑑を眺めたりして過ごしていました。

 

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 母はストレスのために、時々私に当たることがありました。職場の人と酒を飲んでくることもちょくちょくあり、そういう時は夜遅くに帰ってきて、寝ている私を叩き起こして暴言を浴びせかけるようなこともありました。機嫌が悪ければ、ちょっとした失敗に、物で叩かれることは非常に多く、倉庫に閉じ込められたり、3階のベランダに締め出されたり、時に抱きかかえ落とすぞ、と脅すようなこともありました。

 

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 いろいろなことを言われましたが、最も傷ついたのは、幼い時に、「お前が生まれてきたせいだ」ととても怒られたことでした。私は素直に、「そうか、私が生まれてきたせいで、この人は不幸なんだな」 と思い、大変な落ち込みました。今、思えば、虐待と言われてもしょうがなかったような状態だったのですが、子供は虐待という言葉を知りません。自分が悪くて怒られているとしか理解できないのです。その当時は本気で自分が悪いと思っていました。

 

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 私はそれは泣き叫びました。昼間の時もありましたし、深夜の時もありました。これほど大声で泣いているのに、誰も気づかないなんて考えられませんでしたが、母子寮にも、学校にも、私を助けてくれる人はいませんでした。なぜかはなんとなくわかります。関わりたくなかったのでしょう。

 

児童虐待について

 児童虐待は、基本的に、子供が死ぬと社会に露出されます。傷がついていれば、時に学校の先生などが発見し、通報することがあるようですが、傷が無ければ、誰にも気づかれません。そして、そういう子供の方が非常に多いと思います。しかし、精神的な傷は、身体の傷の有無に関わらず同じです。身体に傷を作られた方が、まだ救われるチャンスがあるかもしれません。私は怪我が無かったものですから、誰にも気づいてもらえませんでした。

 

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虐待に子供は気づかない

 私と母は、相容れぬものでした。母は敵であり、私を傷つける者です。しかし虐待を受けているという自覚は、大人になるまでありませんでしたから、「私は母が憎いが、なぜかはわからない」と、ずっと思っていました。それと同時に、「普通は家族が好きなものなのに、私は一人しかいない母のことが嫌いなのだから、きっと私は間違った人間なのだ」とも思っていました。

 

母には味方がいた

 母には幸いにも、常に味方がいました。叔父や、母子寮のスタッフ、古い友達など、私が言うことを聞かなければ、電話でかれら仲間にわけを話し、私に電話を渡し、話を聞かさせました。一方私は誰かわからない大人の話を聞き、謝り、孤独を募らせていました。いまだに私にとって他人から、電話が時々私の元へかかってきます。そういう時は憎しみと共に孤独に苛まれますが、他人と接するように丁寧に対応し、電話を切っています。

 

 

高校の先生

 学校の先生は母子に深く関わることはあまりありませんでしたが、高校の先生だけは、母の味方でした。私は自我が強いくせに、成績の悪い子供でしたから、可愛くないようで、私が先生と話すことはほとんどありませんでした。一度、大学に行きたいと心底思った時、3ヶ月の間、本当に毎日死に物狂いで勉強した時がありました。私は貧しい家庭なので、国立大学にしか行けないと思っていましたから、必死で勉強しましたが、3ヶ月後、大学に行きたいと母と学校の先生に言うと、母はもちろん「そんなお金は無いのだから就職しなさい」と言いましたし、学校の先生には、「あなたは頭も悪いし、お金もないのだから、就職しなさい」と言われ、これまた素直に勉強を止めました。

 

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いつも母が主人公だった

 母子家庭の福祉において、悲劇の渦中にいるのは、母です。子供はそこに存在しません。世の中は弱い者に同情し、助けようとします。よって、社会的弱者とは、子供では無く、母なのです。私は福祉の外にいました。私はその世界の、どこにもいませんでした。

 

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償い

 私はどこにもいない人間で、親不孝者と言われる。子供は生まれてくる場所を選ぶことはできません。なぜかは分からないけれど、とにかく私は何か償わなければいけない。私は何か他のことをしなければいけないと思いました。

 

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 そこで出来るだけ世の中のためになることをしようと思いました。出来るだけ、たくさんの人に、長く影響が出ることです。知り合った人に親切をするくらいの行動ではいけないのです。ですから、医療を選びました。元々好きだというのもありますが、始めたきっかけは、償いとして、やるべきことであると思ったからでした。

 

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前向きに考えるようになった 

 そのような考えは、子供の時に形成されたものですから、決して無くなることはなく、私の性格を構成する重要な要素になっている、と思っていたのですが、今はなんというか、そんな大げさなことなんてなくて、別に母は味方もいて幸せだったろうし、償いの義務なんて初めから無かったのだろうと思っています。

 医学の勉強はやってみるととても楽しくて、医療者に会うのはとても新鮮で、毎日楽しんでいます。きっかけはどうあれ、ここに来させてもらえてよかった、と本当に感謝しています。出会う人々は皆尊敬でき、今まででこれほど発見に満ち溢れた日々というのは送ったことが無いと思います。

 

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 私の過去は、思い返せば、当時は悲しいものでした。でも、もう終わったことですし、真実なんて人によって変わってしまうものですから、とても曖昧で、そんなことなかったなあとか、忘れちゃったなあとか、今はそんな風に思っています。もう振り返ることもあまり無くなってきました。

 

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 長々と書いてきたものの、ヒトの脳なんて非常に曖昧で、適当なところがありますから、全部私の思い違いだったのかもしれません。振り返れば、楽しいことがたくさんあったような気がします。過去は過去でしかなく、それも、まぼろしなのかもしれないのです。

 人間は、あいまいで、ゆらいでいて、あるかどうかもわからないような、そんな存在なのかもしれません。私は何かと同じで、何かが私と同じで、自分が思っている自分は、本当はまぼろしなのかもしれない。生きるというのは、そういうものなのかもしれません。