ひとりのセラピストのひとりごと

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死を恐れるあまり、生を忘れる人類。うつ病の人って正しいと思う。

  私はひどいうつ病だった経験があります。6年患いましたが、完治しました。

  最終的に自力で治したのですが、健康になり、医学を学ぶ今、振り返ると「病む人こそ正しいのではなかろうか」と思う時があります。

 

  健康ってなんでしょうか?

 

  今回はこんなお話です。

 

 

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自分が生物だってこと、知っていますか?

  あなたも私も人間です。

  それは多分ご存知なはず。

  でも、他の種族と同じ生物だということはご存知?

  「そんなの、知っているよ!」と言われそうですが、人間ってトクベツだと思っていませんか?

 

  確かに、唯一言葉を話す生物だし、唯一二本の足で歩く生物だし、唯一宇宙に行った生物だし・・・。色々トクベツなことをしています。

  でもそういう夢のようなことを実現できたのは、言葉を持って、字を書いて、次の世代に文明を伝えてきたから、ずーーっと発展してきたわけですね。

  もし人類が赤ちゃんの時に、言葉を教えてくれる人がいなかったら、文字の読み書きを教えてくれる人がいなかったら、宇宙にはいけませんでした。

  今までずっと、気づいたことを子供達に教えてきて、それをまた勉強して、研究して、そしてまた子供に教えて・・・この繰り返しで、今の文明ができています。

 

  たまたま人類が「言葉を伝える」ことができたので、他の生物ができないことができているわけですが、それ以外のことは、他の生物とほぼ同じ。

 

  母のお腹から生まれてきて、理屈でなく人を好きになり、結婚して子供を産み、時がくると死ぬ。

 

  全ての脊椎動物と同じルールで生命活動しています。

 

  自分のこと、トクベツだと思っていませんか?

 

  犬や猫をみて、教えたことを覚えていた時、「賢いなあ!」と思っていませんか?

  それは「そんなことこいつらにできるわけない」って思っているからではありませんか?

 

  人間は他の種族と同じ、生物です。

  犬や猫やサルやゴリラと同じです。

 

 

  そのくせ理由もなく同じ種族を殺します。

  だから戦争が起きる。

  それが人類。

  それが私やあなたです。

 

 

死を恐れるあまり生を忘れる

  人が死ぬことはいけませんね。

  命は大切にしないといけません。

  自分や、自分の周りの人が死んでしまったら。

  恐ろしくて夜も眠れません。

  でも生物は死にます。だから子孫を残します。死を持って初めて生です。

 

  生きることは病気になることです。病気は生きているからこそ起きる、科学的な現象です。どんな生物も熱を出したり、血を流したりします。人間は医学を作り上げたので、先進国ではだんだんと「その時でないのに」死ぬ人というのが減ってきました。

  それは素晴らしいことでしょうが、代償として死を恐れすぎる文化になってしまいました。

 

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  死を恐れすぎるあまり、科学的な現象である病気を憎み、それを治せないという医療を憎みます。死を恐れすぎるあまり、過剰な栄養を摂り、過剰なコントロールを自分に要求します。

 

 

  死は生態系の中でとても重要な要素です。

  命は紡がれますが、生命の死が無くなると、子孫を創り出した時、地球は人間で溢れかえってしまいます。

  生物として、死は重要です。

  でも、感情論や倫理もあります。

  難しい問題ですが、人間が人間である以上、死は無くてはなりません。

 

  最近は再生医療が出てきましたが、私はいつかこの技術の代償が起きるのではないかと思っています。

 

 

  人が死ななくなる。

  それは、生きることをやめる、と同じことです。

 

 

うつ病の人は正しいのではないか 

  うつ病など精神疾患の方は大変繊細な方が多いですが、こういった「生きていることを忘れた社会」で違和感を感じている方が、生物として正しいと私は思います。

 

  死は生です。

  うつ病の人は自殺したがる傾向がありますが、これは生きていることを感じているからです。

  生死を忘れた社会で、狂ったように働く人々を見て、自分だけが生きていると感じ、自殺しようとする。

 

  生物として全く正しい思考回路だと思います。

 

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  私は今、病気はすっかり治っていますから、自殺願望はありません。むしろ死ぬ日が恐いと感じます。でも、彼らが死にたいと思う気持ちは分かります。そう思うのが正しいと、私は思います。

 

  ただ、本当に死んでしまっては周りの人が悲しむでしょうし、「その時」でないのに死んでしまうのは勿体無い。生物としての使命も果たしていません。

  だから生きる義務があり、自殺はいけない事だと思います。

 

  私が言いたいのは自殺の肯定では無く、

  一見異常のように見える彼らこそ正常で、我々が異常なのではなかろうか、ということ。

 

  私たちに意思はありません。会社や学校、組織に従い、日本に洗脳され、疑いもせず経済貢献しています。

  自分の意思を持って死ぬ、という考えの方が、生物らしいのではないでしょうか。

 

 

私が医学を学ぶ理由

  私が医療に執着しているのには色々な理由がありますが、知的好奇心の最大の理由は、人間が生物に見えることです。

 

  医学の前では、人間は生物でしかありません。

 

  もちろん心や意思、自己、家族があります。それらを全て改善してこその治療であることも理解しています。でも、こと学問になると、ヒトという多細胞生物でしかなくなります。

 

  病む人は自分が生きていることを思い出しています。

  そして、それに接する人も、人間が生きていることを思い出しています。

 

  見た目がカッコいいとか、意識が高いとか、色々な理由があって医療従事者が好きですが、最大の理由はこういうことだと思います。

 

 

  私は病んだ経験があるので、自分がヒトという多細胞生物であり、今、生命活動をしていて、時が来ると死ぬことを、自分なりに理解しています。

 

  でも多くの”健康な人”は、これを知らない。

  自分が生物であることを忘れています。

 

  だから命の話を聞いた時、人は「重い」と言う。

 

  こんなに当たり前のことを、話せないのです。

 

 

  この狂った世界では、狂っているように見える人こそ、正常なのかもしれません。