ひとりのセラピストのひとりごと

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時々、理由もなく他人に激怒される事がある。人との適切な距離、孤独の有用性を考える

  私は定期的に全く親しくない他人に激怒されることがあります。

  率直に申しまして、それは私の社交性やコミュニケーション能力への嫉妬から来ているものだと思うのですが、私を憎む人から、私は学ぶべきことがあると感じます。

  今回は孤独の有用性について考えてみる!

 

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私に怒る人の話

  私は「引き」が強いので、ラッキーを引き寄せる反面、へんな人も引き寄せます。

  ラッキーも、へんな人も世の中のバランスとしてどちらも無くてはならない存在です。しかし、へんな人に遭遇すれば、少なくとも良い気分にはなりません。

 

  「怒る人」はどの組織にも一人はいて、必ず私に仲間が出来て楽しくなってきたころに現れます。「怒る人」は人から嫌われていて、友達がいないようです。私はどういう人からも親しまれる性格なようで、仲良くなるために苦労したことがないのですが、「怒る人」は常に苦悩しているのではないかと分析しています。

 

  「怒る人」は急に私に怒り出します。

  ほとんど話したことがないのに、私がちょっとした失敗をすると120%の出力で急に怒り出し、激情のために話し合うことができません。怒っている人は冷静な思考力を失っていますから、話がめちゃくちゃに崩壊してしまいます。

  私は論的に崩壊していると顔が笑ってしまうクセがあり、それでまた怒られるという悪循環になります(笑)

 

  だって可笑しいんだもん・・・。

 

  私だってそんな意味不明な怒りを受け入れるほど出来た人間ではありません。

  とても怖いし、ストレスなので、早く終わらせたいと思って返答はYESのみにしています。

 

  例えば、「お前、自分の悪口を言っていただろう!」と言われたら、何のことかわからなくとも、「はい、すみません」と言うのですが、イエスと言われたら言われたで彼らはどう返したらいいか分からないようで、また支離滅裂なことを言われて怖い気持ちとは裏腹にニヤリとしてしまう自分に不甲斐なさを感じます・・・。

 

  はあー。ごめんな、怒っている人よ。

  でも怒る方が悪いんだぞ。

  ストレスホルモン出すぎて動脈硬化が進行するからあんまり怒らない方がいいぞ。

 

  ちなみに怒られる方だってストレスホルモンが出ます。

  体感上は一度派手にストレスホルモンが出ると完全回復までに3日はかかるので、勘弁してほしいです。

 

怒る人はなぜ存在するのか

  さて、ヒトは意味を見出す生物です。

  ただ意味もなく怒られても、どうにかしてそこに意味を作ろうとします。

 

  なぜ彼らは私に怒るのか?私の何がいけないのか?本気で考えました。

  状況と背景を考えると、ある1つの答えが導き出されました。

 

  意味もなく怒られる時は、たいてい人間関係が上手くいっていて楽しくなってきた頃です。そこに終焉を打つべく、彼らはわざわざ怒りに来ます。

  つまり、人と仲良くなって、他人との距離が縮まった時、怒られます。

  ここから想像できるのは、その仲良くなった距離が適切では無く、それを諭すためのキッカケとして、怒る人が現れるのではないかと考えました。

 

私と他人との距離

  ここで「適切な距離」について考えてみましょう。

  私は社交的な一面を持っていますので、友達がすぐにできます。それはしばしばトラブルにもなりますが、基本的には友達がたくさんいることに心地よさを覚えています。

  ここでいう友達の定義とは、いつも一緒にいるような関係ではなく、浅く広い人間関係です。私は親友というものがいませんが、顔見知りの友達は非常に多いタイプの人間です。

  そして友達と仲良くなろう、いつも一緒にいようとして、今まさに距離が縮んだと思った瞬間、トラブルが起きます。誰かと誰かが喧嘩したとか、上述のように誰かに急に怒られたとか。

 

  物理的な例で言うと、半径◯メートル以上に介入すると、トラブルが起きる。といった感じでしょうか。あれ、これちょっとわかりにくいかしら。まあ考えるより感じて下さい。

 

自分と他人には適切な距離がある!

  つまり、ヒトとヒトの間には、精神的に適切な距離があります。

  パーソナルエリアとでも言うものでしょうか。時々、人見知りな人が「それ以上コッチ来ないで!!」オーラを出している時がありますが、彼らはこの危険性を本能的に知っているのでしょう。

  私は特殊な人生を歩んで来たので、どうしてもその適切な距離が身についていません。今、それを学習している最中なのです。

 

  そして私が思う、もっともトラブルの起きない最適な距離とは、

  あいさつと相づちしかしない関係。

  質問されたらある程度は答える必要がありますが、あいさつはきちんとする、相手が勝手に話しかけて来たら相づちをする。その程度がもっとも良好な人間関係を保てます。

  え?そんなもん?思ったよりも遠い?

  いや実はこれ、私は実際に成功しているんです。

 

  私の職場は大学病院で、内科の病棟で勤務しています。周りは看護師だけど、部署内で私だけが看護師でないただのお手伝い(看護助手)という立場。しかも全員女性です。いじめられないわけがありません。

  ところが私はいじめられていません。

  なぜか。

  それは、あいさつと相づちしかしない上に、頼まれたらイエスとしか言いません。

  ロボットと同じです。もはや人間ではないので、いじめる理由が無いのです。

 

  ストレスが溜まるのではないか、と心配な方もおられるでしょう。

  下手に仲良くなろうとして失敗していじめられる方が、よっぽどストレスが溜まります。勤務時間は無になり仕事をし、気持ちよく帰路に着くことが出来ています。

 

  これが試行錯誤した結果の、私の人間関係攻略法です。

 

孤独の有用性

  人間の脳のキャパは決まっています。全ての人類と仲良くすることは不可能です。ヒトは理由もなくヒトを好きになったり、嫌いになったりします。自分のことを好きな人がいれば、同じだけ、嫌いな人もいるのです。

  ここで大事なのは、孤独=さみしいと捉えないこと。

  あいさつしかしないというのは確かにある意味孤独かもしれませんが、いじめられたり、怒られたりするストレスを考えれば、実に建設的な人間関係です。それを、感情的に捉えて「さみしい」と思ってしまうと、良好な人間関係を失うことになってしまいます。

  本当に孤独なのは、いじめられて誰も助けてくれないという状態です。

  これは悪質な孤独と表現できます。

 

  「あいさつのみの人間関係を維持する」

  これは私は良質な孤独であると考えます。自分のペースを守ることができ、他人のトラブルに巻き込まれることもありません。こういった孤独は、少なからず得ていた方が、社会を渡る上で有利になります。

 

「ぼっち」と合理的は違う

  私のように、恋人がいない独身の人が、クリスマスを過ごす時、無理して築いた人間関係の人たちと一緒に過ごすのと、一人で過ごすのは、どちらが良いでしょうか。

  それでも一人じゃないから良い!と言う人もいるかもしれませんが、個人的には恋人のいない寂しさは、友達に埋めてもらうことは不可能だと思っています。ちょっと論点が違うというか。友達と恋人は違うと思うんですよね。それに独身同士集まって傷を舐め合うのも気持ち悪いと思うんですけどね。

  でも、本当の友達だったら寂しくないでしょう。

  色んな事情を知っている仲で、なんでも話せるような友達だったら、寂しさは忘れてしまうのではないかと思います。

 

  何が言いたいかと言うと、職場や団体であいさつのみの人間関係でいても、友達がいる人はちゃんといるし、いない人はいない。だからデメリットなんてないということです。

  誰とでも仲良くなるというのは、私のようにトラブルに付きまとわれることがありますので、不可能です。

  だから孤独を感じるよりも、合理性を重視すべきだと思います。

  100の良いことがあっても、1のトラブルで台無しになってしまいます。それが、社会。

 

  退職理由のトップは、人間関係だそう。

  必要な孤独を得て、賢い人間関係を作り、トラブル無く、楽に生きていきたいものです。