ひとりのセラピストのひとりごと

ひとりのセラピストのひとりごと

手に職つけた、ひとりのセラピストのブログ。意識低い系。

私という医療者の心は折れた。私が挫折するまでの話

外食産業をやめてどういうわけかリラクゼーションセラピスト になった。

ヌルいリラクゼーション業界で資格もないのにマッサージして良いのか!?と自問自答を繰り返すこと3年。

国家資格取得を目指し学校へ行くことにした。

 

私が選んだのはまさしく苦難の道であった。

 

他の人だったらそうでもないんだろうけど苦労を選んでしまう属性が備わった私は金もないのに進学し、頭が悪いのに勉強した。

 

私が目指すものはなぜか医療であった。

 

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実はマッサージと医療は微妙に距離がある。

マッサージは医療は医療だがまたちょっと違うものなのだ。

医療をやるなら看護師になった方が良い。

いろんな人に看護師になれと言われた。

 

でも私はマッサージからブレなかった。

今もマッサージから外れないので、何か意味があるんだと思う。

マッサージや鍼灸で「日本の医療をよくする!」と言い出した私は側から見ると完全に変なやつだったに違いない。

浮いていた。

 

在学中は様々な外部勉強会や交流会へ足を運び、偉い人に積極的に話しに行った。

 

経営者や学者、研究者に会う中で、否応にもある疑問が湧き上がって来た。

 

あれ・・・

誰も・・・

医療のことなんて考えてないんじゃない・・・?^^^;;

 

みんな好きなことを仕事にしているので日本の医療なんちゃらと言うやつはいなかった。

当たり前だ。

 

私は意識高い系学生として偉い人に偉そうなことを言いまくった。

 

我ながらアホすぎて天才だと思う。

 

卒後のために経歴も作っておいた。

2年生の時から大学病院で看護助手のバイトをした。

鍼灸マッサージ学生なのに集中治療室に出入りできたのは結構レアな体験だったと思う。

 

病棟の急変を集中治療室に搬送したのに、回復して退院していった患者の後ろ姿を見た。

もちろんたまには死期が来て亡くなる人もいた。

でも幸せな死だと思った。

家族に見守られ穏やかに旅立っていく。

大学病院は命が助かる場所なので、働いていて幸せだった。

退院する患者と別れるときに、かたく握手をしてお互いを励ましあった。

もう戻ってこないで下さいね

ありがとう

そんな会話は本当にやりがいがあった。

 

 

3年生の時は試験の合間に中国へ留学した。

鍼灸学校が主催する中国留学はあるけど、私の学校はこの年やってくれなかったので、人づてに一人で行ってきた。

向こうではバカにされることもあった。

海を渡って一人でやって来た変な日本人。

でも意地もあったのでつたない英語で負けじと頑張った。

これもすごいことだったと思う。

言葉もままならないのにそれなりに色々見て帰ってきた。

 

3年生になると大体のカリキュラムが終わっているので高度な勉強会にも行った。

EBMセミナーというのがある。

お医者や薬剤師が研究論文を元に治療する勉強会だ。

鍼灸マッサージの学生は私だけだった。

普通は行かない。

でも私は意識高い系だったので2回行った。

 

卒後は意識高い系なので普通の治療院じゃ嫌だと思って末期医療病院に就職した。

これが相当キツかった。

やらなければよかっった。

鍼灸師やマッサージ師も末期患者に接するが、彼らが会う末期患者は結構末期じゃない。

まだしばらく生きていられる人たちだ。

でも病院の末期はシャレにならないくらい末期だった。

 

 

教科書に異常呼吸というのが書いてある。

国家試験でもたまに出るのかな。

チェーン・ストークス呼吸というのがあって、死期が近づくと出る呼吸だ。

 

参考

www.kango-roo.com

 

ハアハアと大きな呼吸をしていたと思ったら、急に呼吸が止まる。

そしてまた大きな呼吸を再開する。

病棟の患者は基本的にこれをやっている。

めちゃくちゃ苦しそうで早く楽になったらいいのにと同情してしまう。

 

これが出るくらいになると随分前に食事が摂れなくなっているのでやせ細っている。骨と皮のような感じだ。

 

 

食事のレベルダウンも全部見た。

普通の食事を自力で口に運び、噛んで飲み込むことができる人は少ない。

めちゃくちゃ少ない。

まず咀嚼ができなくなるのでキザミ食になる。

全部細かく砕かれている。

キザミ食の人も少ない。

次に嚥下ができなくなるのでミキサー食になる。

離乳食のような粥状のものだ。

ここが一番多いと思う。

嚥下もできなくなると今度は経管栄養になる。

鼻から胃にチューブを通し、そこに栄養剤を注入する。

これがダメな場合は胃に穴を開けて直接栄養剤を注入するようになる。

胃ろうと言うやつだ。

これもダメになると、つまり消化管が全部機能しない状態になると

IVHになる。

IVHは中心静脈栄養だ。

点滴で栄養するのだが、普通の静脈から栄養を入れるとかなり苦痛らしい。感染の危険も高いとか。

そこでレントゲンで位置を確認しながら体内の奥にあるぶっとい静脈に針を入れて、そこから栄養点滴をする。

普通の病院ではIVHになっても回復して経口摂取できるようになることもあるようだが

末期病院はまずそうならない。

IVHになったらもう食事は摂れない。

 

死期が近ずいた異常呼吸が出たらSAT(動脈血酸素濃度)も下がっているのでリハビリは中止になる。

酸素マスクをつけて、時を待つことになる。

私はただ顔を見に行くだけであった。

 

IVHの方はリハビリの中止指示が出ない。

出ないけどここまでくるとリハビリなんかやめてあげればいいのにとこっちも思う。

とっくに意思疎通が取れない状態になっているのでそっとしておいてあげたらいいと思う。

患者はきっと時間の感覚も誰が来たかもわからないんじゃないかと思う。

 

 

 

5月ごろ、訪問マッサージに行った同級生に「仕事、どう?」って言ったら

「痙縮とか固縮とか難しい!」

と言っていた。

 

のんきだなあと思った。

 

私の患者に痙縮が出ている人もいた。

もうそこまでそうなってしまったらリハビリなんかやめてそっとしておいてあげたいと本気で思うくらい、限界まで進んでいた。

人間の体はそこまで曲がらないと思うのだけど、この人はそうなっちゃったんだなーと思った。

 

そんな患者も亡くなった。

 

みんな亡くなっていく。

 

人生を終えていった。

 

4月には、まあまあたくさんいた私の患者さん。

みんな死んでしまって、最後の一人が時を待っている。

 

生き残っていて元気のいい人たちは良いリハビリをしてあげたい。

本人の意思を尊重したい。

一生懸命やってあげるし、患者は喜んでいる。

それを見てやりたそうにしている人たちもいる。

でもダメなんだよ。

ここでは、患者のために一生懸命リハビリをする人は、バカなんだよ。

 

私は患者のために色々手を尽くした。

ドクターに手紙を書き続け

ケアマネに話をしに行き

ヘルパーに理解を求め

部署内で話し合いを設け

あらゆることをやった。

 

でも

どれほどやっても

ここでは、

一生懸命やることがバカなんだ

としか思えなかった。

 

 

なぜなら

みんな

どうせ死ぬ

と思っている。

全部儀式だった。

 

リハビリは儀式。

患者との会話も儀式。

点滴も

栄養も

酸素も

儀式だ。

回復は二度としない。

 

みんなが儀式をしているだけだった。

 

みんなどうせ死ぬと思っている。

 

どうせ人間は死んでしまうんだ。

 

 

私は挫折した。

 

 

医療のために何かをしなくてはいけない。

そう思って医療を端から端まで全部見た。

外国にまで行った。

そうして最後に分かったのは、

人間はどうせ死ぬということだった。

私だってそうだ。

これを読んでいるあなただって。

 

死が当たり前の場所には何もないのだ。

 

例えばこれが治療院だったらどうだろう。

死に直面することはあまりない。

多くて年に数回だろうか。

治療家は死を知り、防げないことを悟り、ならば生きている患者に尽力しなければと思う。

それはやりがいになるのだ。

誰かの死はやりがいに繋がる。

 

でも死が当たり前だと、

死が起きても何も変わらない。

生が尊くはならない。

患者が死んでも、次の人連れてこなくちゃくらいにしか思わない。

 

そうなってしまう。

自然にそうなってしまうんだよ。

 

 

ここまでやって

これほど努力して

やっと分かったのは

人間はどうせ死ぬ

その程度のことだった。

 

 

私は止めることにした。

今の職場を辞める。

意識高い系もやめる。

何もかも嫌になった。

 

 

医療の問題は誰かがなんとかしたらいい。

適当にやってほしい。

患者の死に寄り添うのは他の誰かだ。

私ではない。

 

私は今夜を安心して眠るためだけに生きたい。

今まで眠れない夜が多すぎた。

ぐっすりと眠るために仕事をしたい。

それだけだ。

 

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