ひとりのセラピストのひとりごと

ひとりのセラピストのひとりごと

手に職つけた、ひとりのセラピストのブログ。意識低い系。

認知症患者の身体拘束について考えてみる

病院では認知症患者が抜管や転倒など命に関わるリスクがあるときに拘束具を使うことがある。

拘束具と言っても上半身を縛るようなものものしい物では無くて

手袋だけとか、手首だけとか、帯だけとか

もっとライトなやつを使う。

と言っても拘束具は拘束具なので患者さん的にはストレスだと思う。

怖い思いをする人もいるそうだ。

 

以前、大きな病院で看護助手をしていたときは、拘束具が必要になると他部署に取りに行った。

拘束具が置いてあるのは精神科病棟だった。

精神科病棟は私がいた病棟と建物がものすごーく離れていて、病院の中でも隔離されていたような覚えがある。

夜勤の時間帯は閉まっているので、警備の人にわけを話して中に入れてもらう。

鍵付きのエレベーターに乗って、降りるとまた鍵のある扉が出迎えてくれるのだ。

ピンポンを押して精神科の看護助手を呼ぶと中に入れてくれるのだが

間髪入れずにナースステーションに押し込まれる。

ナースステーションも鍵付きだ。

そこで患者さんを縛る道具を貸してもらった。

変なところだった。

 

その大きな病院では滅多に拘束具を使わなかった。

ミトンはよく使っていたが、精神科で借りてきたいかにも拘束具みたいなモノはほとんど使っているのを見たことがなかった。

 

ミトンというのは、指の別れていない手袋だ。

患者さんは点滴の針を抜いてしまうことが結構あって

そんな場合には安全のためにミトンをはめて指の動きを封じてしまうそうだ。

中には人工呼吸器を自分で取ってしまうこともあるそうで、そうなると致死的な事故になってしまう。

ミトンを使う時には家族によく説明して同意書を書いてもらう。

点滴や呼吸器などの管を抜いてしまうことを抜管(ばっかん)と言う。

点滴抜管は大出血することもあって私は血の海を渡ったこともある。

本人も痛いし、片付けは大変だし、また針を入れないといけないしで

早々にミトンをしてしまった方がみんなのためにいいような気がする。

血の海を渡った時は、かなりのご高齢なマダムが患者さんで

抜管は三度目、その日に二回もやってしまったらしい。

発見は看護師さんで、私はすぐに掃除をした。

部屋の掃除が終わるとドクターが二人で新しい針を入れるために、私と交代でマダムの部屋に入っていった。

高齢者は痩せているので血管が細く、針が入れにくい。

ドクターが部屋から出てきたのは何と二時間後、患者さんの腕にはアザが増えていた。

 

ただでさえ細い患者さんの腕。

ドクターだって針を入れるのは難しい。

四苦八苦して挿入したらしく、若い医師二人の顔は憔悴しきっていた。

患者さんだって抜管するのも、挿入を失敗されるのも、さぞかし痛いことだろう。

患者さんも疲れていた。

 

認知症はみんながつらい病気だ。

患者さんだって自分がおかしなことをしてしまったことが分かる。

特に女性は他人にガッカリされたことがよく分かるみたいで、傷ついている。

そんな患者さんを見て医療者も傷つく。

うまくできない、予防できない、患者が悪い、いや…自分が一番悪い、、、

みんな疲れている。

 

 

私は、だったら拘束も悪いことではないんじゃないかと思う。

 

 

拘束具を使うこと自体が虐待だと思っている人がケア関係者に結構多いようだ。

私は看護助手の時に、精神科まで走らされて拘束具を扱っていたので

必要悪というか、患者さんの治療のためにやむを得ない医療の一手段というような認識であった。

でもその後に行った末期医療の病院ではみんなが拘束具を敵視していた。

そしてオーダーする医師を敵視していた。

いやなところだった。

なぜみんなポジティブに考えられないんだろう、

なぜ悪いものしか目に映らないんだろう

疑問だったけど…

でも、考えてみれば

大きな病院は患者さんが治って退院していくから、拘束も治療だったんだけど

末期医療の病院は患者さんは治らないんだよね。退院しない。

だからやっていることに治療という認識がなくて

拘束は、人権侵害になっちゃうんだなーって思った。

 

 

拘束は、やる場所によって善悪が決定するのかもしれない。

治療をしている場所なら、それは医療だけど

ケアしている場所なら、それは人権侵害なんだ。

 

 

 

個人的には身体拘束と全然関係ない仕事ができて気がラクだ。

マッサージ師の患者に抜管リスクのある人はいない。

呼吸器もないし…

ほんとにマッサージ師って楽だなあ。

 

 

おわり